親泊(おやどまり)朝省大佐一家の自決
昭和20年9月2日 アメリカの戦艦ミズリー号の船上に於いて、日本の政府代表は連合軍諸国
に対する降伏文書に調印し、これを以って第二次世界大戦は終結となりました。
翌 3日の明け方にかけて、妻・長女・長男 と共に 親泊朝省は 一家で自決を遂げたのでした。
長女 靖子は東京女子高等師範学校附属国民学校4年、つまり このホームページの絵日記
を書いている4年生と同期です。
親泊一家の自決は 当時ほとんど知られることなく、やがて60年を迎えようとしています。
同じ時代に 同じ校舎で勉強をしたお茶の水の同窓生として、 無縁ではない この痛ましい事件
もまた 戦争の悲劇のひとつとして、みなさんにお伝えしたいと思うのです。
はじまりは 作家 澤地久枝さんからの1本の電話でした。
「集団疎開の参加者に4年生の親泊靖子さんというお子さんがいらしたでしょうか?」という内容の
お尋ねだったのです。私達はお茶の水の疎開に関して、15年ほどの間 資料の収集やまとめを
行って来ましたが、親泊(おやどまり)という珍しい苗字は 耳新しい響きでしたので名簿を確認して、
見当らない旨をお答えしました。
当時の女高師の附属は、一種教育の実験校のような形がとられていて、多くの学校がそうであるよ
うに1年1組という分け方ではなく、1部1年・2部3年・3部6年 という分け方がされていました。
1部は女子のみで 幼稚園から女学校までは無試験で進学できる
2部は1年と2年・3年と4年・5年と6年が同じ教室で授業を受ける
3部は男女混合クラス と言う編成です。
疎開中はその枠が取り払われていましたから、私達(5年)の学年でも2部だった方は 1年下の
学年と机を並べたことがある人もいる訳で、その人達に聞いてみると 親泊さんの名前はすぐに確認
できました。
澤地久枝さんはお持ちの資料の中で、靖子さんを疎開先から親もとに連れ帰って ということがはっ
きりしていたので、先ず女高師の集団疎開 と思われたようでした。
同級生や担任の先生などからの情報が繋がり、靖子さんの当時の消息もわかりました。
澤地さんは 長い期間の取材を積み重ねられたあと、NHK出版から【自決 こころの法廷】を上梓
され、ほんの少しでしたけれど取材に協力したということで、私達にも出版されたご本を送って下さい
ました。それを読んで はじめてその全容を知ったのです。
親泊大佐は ガダルカナル島の激戦からの撤退後、大本営報道部の一員として 戦意高揚のプロ
パガンダの役目をつとめました。戦況の不利を承知しながら、それでも不敗を説かなければならない
立場でした。
澤地さんの【自決 こころの法廷】は 何故 幼い二児を道連れにしてまで 自らを裁かなくてはなら
なかったのか、聞き取り調査と資料の発掘により、真実を解いていく ノンフィクションです。
長い間知られなかったこの悲劇を、私共は同窓生として多くの方に読んで頂きたいと思い、ご紹介を
させて頂きます。
2001年に初版が単行本として発行されてから、2003年に更に文庫本として出版されています。
初版以後に得られた新しい資料が加えられていますので、こちらをお薦め致します。
NHKライブラリー 【自決 こころの法廷】 著者 澤地久枝
発行所 日本放送出版協会 2003年7月 第1刷発行 定価 本体920円+税
親泊ご一家の御霊が安らかでありますように 心からお祈り申し上げます。
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尚 ホームページのメールにお便りを頂いた 上田博章氏のお父上は,親泊朝省氏の直属の上司
であること しかも 学童疎開制度を立案された方であったことが 上田氏のご本によって判り、その
あまりの偶然に 大げさではなく飛び上がるほど驚きました。
文芸社発行 【疎開絵日記】 学童疎開ドサ回り 著者 上田博章
2003年4月 第2刷発行 定価 本体1200円+税
当ホームページ表紙の リンク をご参照下さい。